第1幕 少年と桃源郷
日本の近畿地方にある国際都市・柊は、古き東洋の街並と最先端の科学技術が都市生活を彩り多くの人々が行き来している。都市の主要拠点・中央区にある桃の木はバイオテクノロジーの発達によって年中美しい花を咲かせ花びらを散らしている。その桃の花に染まった街並を見た人々は語る。
ここは『現代最後の桃源郷』だと……。
※
柊にも通常の観光客は出向かないであろう下町はある。その区域の名は「ストリート」と呼ばれている。コンクリートの建物が並ぶ街並をオレンジ色のチャイナ服を着た黒髪の少年がアルミ出前箱を片手に全速力で走っている。彼の左耳にした星のピアスが日の光が当たり光る。少年がコンクリートとレンガで出来た道を走っていると、たくさんのリンゴが入った紙袋を抱えた男が歩いているのが見える。
少年が走る速度を下げて男とすれ違おうとした途端、男の抱えた紙袋からリンゴがひとつ落ちる。
「わ!」
男はそれに気づき慌てる。それには少年も気付いていた。
「はいよっと!」
少年は地面に落ちかけたリンゴを瞬時にキャッチした。
「はいおっちゃん、危なかったで!」
少年はやや訛りのある関西弁で話し、男にリンゴを渡す。その右腕には銀と宝石のブレスレットが光っている。
「ああ、ありがとうな。美翔(メイシャン)」
「ええで。おっちゃん気ぃつけてな」
美翔と呼ばれた少年は、男にリンゴを渡すとまた走り出していった。
「美翔、相変わらず早いな……」
男は美翔の走る光景を思わず眺めていた。
※
「ラーメンお待たせしました!」
ストリートの中華料理店・楼貫飯店には桃色の髪を結んだ美少年がウエイターとして店を手伝っていた。シアン色のチャイナ服を着て右耳には星のピアス。肌は白く、垂れた眼に長い睫毛。そんな彼が店の客の注文を訊いていると、店の扉を開けて美翔が入ってきた。
「ただいまー! 出前終わったでー!」
高らかに声をあげる美翔。
「あ、美翔(メイシャン)兄ちゃん、おかえり」
「真幌(まほろ)ただいま」
美少年は美翔に真幌と呼ばれる。美翔は彼に『美翔兄ちゃん』と呼ばれているが、二人は兄弟ではなく幼馴染。美翔のほうが年がひとつ上なので真幌は自然とそう呼ぶようになったのだ。
「美翔、いつも精が出るな」
「你好(ニーハオ)!」
店のお客らに美翔は軽く挨拶する。
「望月のおっさん、出前終わったで」
美翔は店の奥の厨房で調理する店主に出前箱を渡しに行く。望月と呼ばれた男は出前箱を受け取る。
「おーおつかれ。じゃあ次は買い出しな」
「うわ、まだあるんか!?」
美翔は望月に電子マネーのカードと大きなトートバッグを渡される。
「調味料一通り無くなりそうだから『事業スーパー』行ってきてくれ」
「へーへー」
美翔はしぶしぶバッグとカードを持ってまた出かけた。
※
「ふー、おっさんがたまには自分で買い出しせえやぁ。醤油とか全部あてに行かせるやん」
買い出しを終えて『事業スーパー』を出ると美翔は空を見上げる。見ると、ドローンが数機飛んでいるのが見えた。
「警備ドローン増えたなぁ。あくまでも監視用で悪い奴倒してくれるわけやないのに」
警備ドローン。柊市各地で飛んでいる監視カメラ搭載のドローンだ。一応不審者を見つけた際は動きを封じる麻酔針を撃ち出すが、麻酔の効果がいまいちで正直役には立っていない。
「……まあストリートには悪い奴はいてへんよ。あてがおるから」
美翔はバッグ片手に走り出した。
※
「あ”~、疲れたぁ。今日出前多かったわぁ」
楼貫飯店の営業時間が終わると、美翔はテーブル席に座って賄いのラーメンと豚まんを食べる。
「兄ちゃんが持っていくのが一番速いからね」
真幌も豚まんを食べる。
美翔は店のカレンダーを見つめる。
「……マスターがストリート出てもう二年になるけど、行方は全くわからんやん」
マスターとは二人に拳法を教えてくれた男、クオーツのことだ。
「マスター・クオーツがいなくなってからもう二年になるんだね……」
二年前まで美翔と真幌は、クオーツと暮らしていた。
七年前に美翔と真幌はそれぞれの両親と死別し、クオーツに保護された。クオーツは二人に拳法を教えつつ親代わりとして面倒を見ていてくれた。しかし、二年前に彼は突如としていなくなった。警察にも見つけられず、行方不明のまま現在に至る。
「マスターはあて等のケータイにメッセージ残して連絡しても一切返事こないしで、一体何してるんやろ」
「メッセージで望月さんのとこに行ってって言われた時はびっくりしたよね」
美翔も真幌も二年前は驚いたが、クオーツがいなくなった生活にどこか慣れつつあった。行方不明という事実に悲しんだのは最初の数か月で、今では冷静になり日常になってしまった。
美翔はポケットから旧式のPHSを模した通信端末を取り出す。通話履歴には定期的にクオーツに電話をかけた履歴があるが二年間一度も出てくれなかった。
「中央区の俺とクオーツさんの知り合いにも探させたけどなんの手掛かりもなかったぜ」
望月は厨房から出て二人に茶を出す。
「あ、おっさん。豚まんおかわり」
美翔は望月に豚まんがのっていた皿を渡す。
「またかよ。てか師匠の行方より豚まんなのかお前は」
「悩んでたら腹減るんよ」
「普通逆だろ」
悩みより食い気な美翔であった。
※
翌日。美翔と真幌が通うストリート内の小学校。
五年生の真幌のクラスの授業が終わり放課後が始まると、真幌はカバンを持って教室を出て校庭に出る。
「あ、真幌! 観てみろよ!」
「え?」
真幌は同級生に呼び止められて小学校の生徒らが十数人らが集まる場所に入ってみる。
そこには、先に授業を終えた六年生の美翔と同じく六年生の男子が決闘をしているのが見えた。
「おりゃあ!」
六年生の男子が美翔に殴りかかる。
「よっと」
美翔は軽々避ける。男子はパンチを繰り返すが美翔は全部避ける。
その光景は真幌や他の生徒らには見慣れたものだった。
「兄ちゃん、また誰かに決闘申し込まれたの?」
「そうだよ。今日はしかも一気に五人相手だって。五人中一人でも勝てたら缶ジュース全員に奢るそうだよ」
真幌の問いに呼び止めた同級生は答える。
「お前と美翔はあのクオーツの弟子だろ? 勝てる奴なんてそう簡単にいないって」
真幌の同級生はクオーツについて語る。そうしていると、決闘の決着は早々に着いた。
「セイァ!」
美翔は五人のパンチや蹴りを綺麗に回避し、全員肘で殴り膝で蹴り倒した。五人とも座り込んだり倒れたりだ。
「くっそー、また美翔に負けた……」
「やっぱつええ」
敗北を感じた五人は美翔を見つめる。
「あははっは! 今日もあての勝ちや!」
美翔は息切れもなく笑う。美翔は本気も出さずに圧勝したのだ。
「美翔すげえ!」
「やっぱストリート最強は美翔だ!」
彼の鮮やかな身のこなしに周囲の生徒らは歓喜する。
「あ、真幌! 帰るで!」
美翔は真幌を見つけるとカバンを背負い、真幌の元に駆け寄る。
「兄ちゃんまた喧嘩してたの?」
「向こうが挑んできたんよ。怪我させるから本気は出してへんで? さっきもグーもキックもせんかったし」
「それは見てたよ」
美翔と真幌は帰り道を歩く。
「真幌―! 明日のバスケの試合の助っ人頼むぞー!」
真幌と同じ五年生の生徒らが真幌に声をかける。
「うん! がんばるね!」
真幌は返事をする。
「お前も結構ノリええやん。まあ応援するけど」
申し出に応えるのは真幌も同じだった。
※
美翔と真幌が学校を出たのと同時刻。ストリートには青い髪で首筋に傷痕がある男がいた。男は座り込んで右足を抱える。
「あ~、迷子になったかもアル? しかも、足捻ったネ?」
男は人を探していた。しかし探している途中で付き添いの男二人とはぐれしかも大きく転んで足をくじいてしまった。
「やばいアルネ。まず病院で足見てもらうアル」
男が困っていると、二人の少年が歩いてくるのが見えた。少年達、美翔と真幌は男に気付く。
「あ、見たことない人おる」
「本当だ」
「ああ! 君たち! ちょっといいかなアル!」
男は二人に声をかける。
「アル? なんやろ?」
「なんですか?」
美翔と真幌は反応し、男に近づく。
「足怪我してしまって病院の場所教えてほしいアル」
「ええ!? 大変やん! はよ連れていかな、立てるかぁ?」
美翔は男を立ち上がらせようとする。男は怪我した足を庇うように立つ。
「病院なら向こうにあります」
真幌は男の手を自分の肩に乗せさせる。
「ありがとアルネぇ~」
男は思わず感動する。
すると、ベージュのコートを着たサングラスの男が数名どこから現れた。
「うわ、しまった……」
青い髪の男はそれを見て呟く。
「え? なんやこいつら?」
美翔はサングラスの男達に驚く。真幌も只事ではないと思い、警戒する。
「と、とにかく早く病院行こ!」
「せやな!」
二人が青い髪の男を連れて行こうとすると、サングラスの男の一人が真幌の腕を掴み、勢いよく青い髪の男から話す。
「うわぁ!!」
真幌は地面に倒れる。
「真幌!!」
それを見た美翔は叫ぶ。
「おい! お前らの狙いは俺だろアル!」
青い髪の男もそれを見て叫ぶ。
「……なら我々と一緒に来てもらう」
サングラスの男の一人が青い髪の男に近づく。
「君たち、俺のことはほっといて早く逃げるアル」
男は美翔と真幌に逃げるように促す。
「いやあんた怪我しとうやん! それにコイツら普通ちゃうし」
美翔は逃げなかった。それは倒れていた真幌もだ。
「に、兄ちゃん、」
真幌が立ち上がろうとすると、別のサングラスの男が真幌の腕を掴んだ。
「!?」
「コイツの髪の色、まさか『桃童』か?」
サングラスの男は真幌の桃色の髪を見る。
桃童という単語に真幌と美翔は動きを一瞬止めた。
「『桃童』はまだ高値で売れると聞いた。お前もこい」
サングラスの男は真幌の腕を掴んで無理に立たせる。
「うああ! 放して!」
危険を感じた真幌は抵抗するが男は強く離れない。怯えた真幌の顔が美翔の視界に入り、美翔の目付きが変わった。
「おい! てめえその子は関係ないアルネ!」
青い髪の男が叫ぶ。
その瞬間、
バシィッ!!
「!?」
美翔はサングラスの男に飛びかかり思いっきり男の頬を拳で殴った。
「!!?」
男は大きく倒れて真幌から手を離す。美翔は真幌を自分の背に隠す。
「……真幌に何してくれてんねん? やってくれたなぁ?」
美翔は右手のブレスレットを投げるように外す。するとブレスレットは光り出し、長い槍の姿に変わった。
「あ、あの槍まさか!?」
青い髪の男はその槍に見覚えがあった。
「真幌、大丈夫か?」
美翔は背後の真幌に問う。
「う、うん大丈夫」
真幌は助けられ安心する。
「そないか、ふぅ」
美翔は無事を確認すると槍の刃(
は
)の部分を取り外し、短剣と棒の形にする。
「お前らみたいな連中に刃の部分は使いたないから棒だけにしといたるわ。使う必要もあれへんし……久々にちょっとだけ本気出したるわ」
美翔は刃の部分を腰のベルトに刺す。
「真幌に危害加える奴はあてが許さへん。お前ら……お仕置きしたるで!!」
そして大きく棒を回し出す。
「その男と桃童の子供を捕らえろ!」
サングラスの男の一人が叫ぶと他のサングラスの男達は真幌と青い髪の男に飛びかかろうとする。しかし、それを美翔は許さない。
「でああぁ!!」
真幌に近づこうとした男三人を美翔は棒と蹴りで弾き飛ばす。背後から殴られそうになれば回し蹴りを入れる。
青い髪の男に迫るサングラスの男二人も棒で薙ぎ払う。
「セイッ!!」
最後の一振りが、サングラスの男全員にダメージを負わせる。
『メテオインパクト!!』
爆風にも似た風が吹き、サングラスの男全員は倒れた。
「よっし! お仕置き完了や!」
美翔は槍の刃(は)を棒に戻すと、槍はまた光ってブレスレットの姿になる。
「兄ちゃん大丈夫?」
「おう! 楽勝やったわ」
美翔は真幌に笑いかける。
「コイツまさか……」
青い髪の男は美翔の持っていた槍に見覚えがあった。
そして『桃童』という言葉にも聞き覚えがあった。
男は美翔と真幌に問う。
「君達、もしかしてマスター・クオーツの弟子アルか?」
「せやで」
美翔が先に答える。
「えっと、マスターのこと知ってるんですか?」
今度は真幌が問う。
「そうアル。弟子の君達に話があって探してたんだアル。二年前からいなくなったのは知ってるアルな?」
青い髪の男は衝撃的な言葉を放った。
「そのクオーツさんが君達を呼んでいるアル」